悲しい事が

猫えもん


昨日夜ありました。
その時如何に法律というものが様々な場合を想定して作られていたのが解ったし、

同時にこれでは守られる人は少ないだろうという事も解りました。
その原因の一つは裁くためには訴訟が必要だという事。
訴訟しなければ裁く事もできない。
その事の社会的な意味をもう一度考えてみないと…

法の抜け道は埋められても守られない法の数は。どうでしょうか。

僕は文1でも法学部でもないですが、

法に将来触れていく人だけにこの問題を考えろというのは如何にも無責任だと
自分に出来る事なんて何一つ無くても考えて見なければと

そう思いました。長々悲しい事の詳細を書けないことを書いてしまってごめんなさい。